日記〜2022/12/14 (2022/12/28追記)

※気が向いたら追記する。

やるべき事を全てほったらかしてこの文を書いている。物事の優先順位がいまだに上手く決められない。前から長い文章を書いてみたいという気持ちがありながらも、実行出来ていなかった。だから、ここで実行しようと思う。今年、書き溜めていた日記を適当な順番に引っ張り出しつつ。

今年はDJを結構した。結果として出来たかどうかは分からないが、やりたいニュアンスは今年の後半、多少試せたと思う。
DJは楽しいし曲をかけるという行為自体はとても簡単でそこが良いところだと思う。反面、他人の力をずっと借りているという感覚はとてもある。ライブは曲や、演奏含め自分の力量以上のものは当然出ない。しかし、DJは他人の曲を好きに選べる為、自分の身の丈以上の力が楽に出せてしまっている気がした。それが悪い訳ではないが、驕らないようにしないとと思った。しかし、音楽制作もライブも今までの歴史やDAW等の力を借りてると言われたら確かにそうである。
後、映像制作もぼちぼちした。前から少しはやっていたがコロナ禍になり、ライブの映像出演などが増えた事でより一層ちゃんとやるようになったと思う。当たり前すぎるが撮りに行かないとそもそも素材が生まれないというのは大変な作業だと実感した。
そして、今年は自分の曲のリリースが少なかった。その分ライブやDJ、映像制作が増えた。kumocのリリースは少し思うところがあり、あまり動かさなかったというか動かせなかった。まぁ、なるようにしかならない。

酉島伝法氏の「るん(笑)」を読んだ。内容は科学とスピリチュアルの関係性が逆転した世界で、科学ではなくスピリチュアルが信じられている日本を描いている。面白かったが、読むと体調が悪くなる様な内容がつらつらと書き連ねてあった。しかし、曲を作るというのは目に見えないものを信じている行為に近いところがあり、スピリチュアルな要素も多い。正直言って陰謀論者は馬鹿にできない。自分も陰謀論と常に隣合わせな様なものであるから。

あるバンドについて検索したら急に古いおじさん構文のレビューが出てきてくらった。

北野武の「3-4X10月」を観た。急に人があっさり死んだり、無茶苦茶な北野武の役だったり、唐突な展開だったりと、そういう理不尽さが自分の中でとてもしっくりきた。中原昌也氏の「死んでも何も残さない」を読んだ時も近い感覚を覚えた。

k/e/t/a MASSACREをやった。色々と考えた結果、1人でやる事にした。一応考えていたテーマとしては名前が付くことによって輪郭が見え、生きやすくなったり理解が出来ることもある。今だとオタクやギャルといったワードをポジティブに使ったりしている感じ。タグ付け等の行為。しかし、逆に輪郭がはっきりせず不明瞭なままだからこそ分かる意味もある気がする。1人でやった理由としてはこのノリを共有出来る人達を探す時間が無かったのが1番大きい。やった結果、上手くいったかどうかは分からない。当時終わった後のメモにはこういう感想が残っていた。
・昨日のマサカーで自分がやってた事はもうすでに竹村延和さんがやっている。ケタマサカー、要は竹村延和さんがいう所の「子供」です。昨日のライブで自分がそれさえ持ててればまぁ良しって感じです。伝わってれば尚良しです。
・シャツしわしわだった…。
・やっぱ1人の人間がずっとやってたら考えてることや特に身体的な面でのアウトプットは限られてるのでほんのり輪郭は出てきてしまいますね。でも規定されたくないって訳ではなく自分で無理に規定しないって感じなんで当初のテーマと矛盾は無いはず…?
・人から規定されるのはある程度仕方ないと思っている。〇〇さんは髪が長いとか、あれが好きとかそう言う識別をしないと生物的に単純に生きるのが大変になると思う。規定が行き過ぎると色々問題はあるけど。逆に他者は自分の鏡とも言われるので、自分が分からないことも人から見たらわかる場合もある。
・結局一人一人、それぞれ特性があるが、ただそれをある表現が自分の表現が似てるからと言って無理に自分もそれと同じなんだと思わなくても良いという感じ?「絶対症状でググるな」と近い?
・後、言語化の問題がある。言葉はある程度纏める力があるし、それが役割な部分が大きいと思う。だから、言語以外の感覚で感じるのが重要?勿論、言葉でそう言うはみ出した感覚を伝えられる人はいると思うが。

BBBBBBBのリリパでのアクシデントで場を繋ぐ為にやった即興演奏のお陰でそこから今年はライブのやり方が変わった。本当にターニングポイントだったと思う。有難い経験だった。それと、ケタマサカーでの即興演奏以降、即興的なのをやる機会も増え幅が多少広がった。しかしもっとライブのやり方については考えていきたい。そういうので言えば、suwaさんやウープさんのライブは本当に驚かされるし感動する。

朝4時ごろに目が覚めた。ここ最近、18時頃に眠くなり24時頃に寝ても4時ごろに目覚める。睡眠時間自体は短いのでなんだかずっと眠たい。早朝の街の様子を撮りたいと思い、5時半頃に家を出た。自転車で適当に移動する。朝焼けを撮影する為に人気のない場所を見つけ、自転車を降りる。最初は普通にスマホを手で持って撮影した。次は、自分への誕生日プレゼント?として購入したエレコムのスタビライザーを試した。

マサカー400回記念で江ノ島に行った。ニシさんがコンビニの店員さんから「何処で買った傘ですか?」と話しかけられていたのが良かった。悪天候ではあったが、各々チルを模索して水族館やご飯に行ったりしていた。ある意味カトーさんが当初言っていたことは成功したように思う。駅近くのたばこ屋兼喫茶店が祖父母の家に遊びに行ったみたいな雰囲気で落ち着いた。シラス丼を初めて食べたが美味しかった。

今まで意識してなかった人、苦手だった人も自分の好きな人達が良いと言ったら興味が湧いて嫌いじゃなくなることがある。

今年よく見たテレビは流し見程度ではあるがラヴィット!とヒルナンデスかもしれない。自分の生活は時間だけは無駄にあるということがよく分かる。

某日、お酒を飲みすぎた。下北沢から家まで帰る時、何度も限界を迎えそうになった。池袋駅のトイレに一旦入って何となくその時の自分の顔をiPhoneで撮った。全てを諦めたような顔をしていた。そして、電車の中で何度も寝落ちするせいで家の最寄り駅に上手いこと降りられず、電車で行ったり来たりを繰り返した。なんだかんだ吐かずに家に帰れたしシャワーも浴びた。こういう時、何故か舐達麻の歌詞が頭の中で繰り返される。特に状況に合っているわけではないのに。

NHKのあいみょん特集を見ながら文章を考えている。履歴書に書きたいことが無さすぎて筆が進まない。あいみょんの経歴が流れてくる。波瀾万丈な経歴が紹介される。京都に住んでいたが、兵庫には数えるほどしか行ったことがない。数回行った感想としては何となく都会のイメージがある。あいみょんは老若男女に人気だ。以前、渋谷PARCOでHaruyさん、柴田聡子さん、MIZさんのライブを見たことがあるが、やはり歌声というのは万人に届きやすい表現だと改めて実感した。マサカー400回記念の時の堀池さんでも同様に思った。当たり前だが上手い歌は生で聞くとかなり迫力がある。古今東西、大昔からそりゃ皆んな歌うよなと思った。この間、あいみょんは地元西宮でライブの準備をする様子が放送され、自分は履歴書に一切手をつけていない。

東京に来て1番思ったのが街がとてもインターネット的だなと思った。SNS等で数を稼げるものが街に現れ、人がそこに集まるような感覚に陥ることが多かった。地方もそうなのかもしれないが。インターネットで起きた事を現実でも見て確認するだけの催しやライブもあった。それが悪い事なのかは分からない。ただなんかもっとあるとも信じたい。
でも、単純に今の時代、何か作品を出すとなると必然的に世界中に公開するパターンの方が圧倒的に多くなってきたから仕方ないとも思う。例に洩れず自分もそうで、作品をインターネット、つまり世界中に公開している。その逆張りという程でもないが、少し前から閉じた事をやりたくなった。最たる例は好きな人のために曲を作ることだが、それに近い事をした。imaiさんのメトロのパーティーに遊びに行くのにMONSTERSのリミックスを作ったり、tofubeatsさんに会う時の手土産としてAfterimageの映像を作ったり。トーフさんに関しては、かますためにお土産何が1番面白いかという大喜利を1人で勝手にしていた部分はあるが。結局全て自己満足だがこういった事は楽しくもある。

SHEINが流行っている。今の世の中をとても反映していると思った。

没さんとshiranaihanaさんが自分の曲をかけてるのを聞く機会があった。2人とも全く別日の自分がたまたま遊びに行ったイベントでかけてくれてるのを見た。DJでかけづらいような曲ばかり作ってるのにとても有難い。

2022年は今までに比べて色んなとこに遊びに行った。そして色んなDJを見て自分も、もうちょっとクラブで機能するダンスミュージックを作ったり踊らせるDJをしたい気持ちが少し湧いたりした。

CD-Rを貰ったので何か作りたいと思ったが作れなかった。もっとラフにやればいいと思うのだが、bandcamp等のインターネットに公開するより何故か心理的ハードルが高くなっている。この差が一体なんなのかは分からない。来年こそはCD-Rで作品を出したい。

vlogを時折見ている。その時々の今の流行りのムードが映像の編集の仕方に現れることが多い気がする。数年前はlo-fi hiphopがBGMに使われている事もあった。今は映像編集の仕方がY2Kな感じもよく見かける。自分は音楽を起点にしてそういう今のムードを感じ取っているが、ファッション等を軸にしている人はどういったところから情報を得ているのか気になる。

dirty dirtさんの働いているねこの手書店に遊びに行った。偏りはあるが街の書店なのにアーカイブが豊富で驚いた。そこでdirty dirtさんに薦めてもらった中村明日美子氏の「片恋の日記少女」を買った。色々薦めてもらった中でこれを購入したのは安かったというのが1番の理由である。元々、ジャンプ系を人並みに読む程度だったが、一人暮らしを始めてから漫画をあまりちゃんと読んでいなかった。内容は短編集で、物語を進めるための起点として恋愛の話が出てくるだけで、意外と恋の話に終始しないものが多いのは驚きだった。どの話も爽やかな雰囲気があったが、恋愛メインの話は結構インモラルだった。恋はいつでもどこからでも始まるんですね...!dirty dirtさん!という気持ちになった。

前述のとおり、今年引っ越してから以前より明らかに色々な所へ行った。当たり前だが直接見聞きしたり触れたりしないと分からない事は沢山ある。音がデカかったり、見る対象物が大きかったり小さかったりするだけでもスマホで見るよりかなり印象は違う。しかし、ライブ至上主義みたいなのを全ては肯定できない。やはり、家でずっと音楽を聞くしかなかった経験を否定したくない。トーフさんのFANTASY CLUBに若林恵さんが寄稿したライナーノートにも近い事が書かれていた気がする。今の自分にこんな事を言える資格があるかは分からないがそんな気持ちを忘れずにはいたい。

以下、2022/12/28追記

今年の前半は何故かずっと弦の響きが気になっていた。なので、ストリングスの入った曲を探しては聞いていた。ライブでも割とストリングスの入った曲をやっていたと思う。リリースしたものでいうと、「どこ」や「Gap」が弦を取り入れたいと思って作った曲になる。しかし今思い返すと何故こんなに弦の響きに夢中になっていたかはもう分からない。
それと、銀杏BOYZがリリースした「BEACH」と「光の中に立っていてね」、BiS階段、神聖かまってちゃん等の2010年代初期のミュージシャンのノイズとポップの混ざり具合が今のhyperpopやhexd、dariacoreとかの歪んでいる音楽とリンクする感覚が急に起きた。
後、くるりの「THE WORLD IS MINE」にも今のエレクトロニカ感ある曲との共通項を感じた。

今年は2回、水族館に行った。1つ目は植物園もあるとても小さい所でほぼ貸し切り状態だった。BGMも無く、ただただ魚が泳いでいたり、植物があったり、それをゆっくりと眺めた。2つ目は鴨川シーワールドだった。1つ目と比べると生き物の種類も大きさも建物の感じも立派で人も多く、商業施設という感じがした。雨の中のシャチのショーでも水を被りたい人が沢山いたのが印象的だった。雨天でも飼育員さんとシャチは全てを完璧にこなしていた。

デソレーション・センターを見た。内容は80年代前半に米国カリフォルニア州の砂漠地帯で行われたライブイベント「デソレーション・センター」を捉えたドキュメンタリー映画。個人的にはイベントが5〜6回?くらいで終わったのが記憶に残った。アナキズム的な精神のイベントはすぐ終わるのが効果的なのかと思った。やり逃げがいい?デソレーション・センターに影響を受けた他のイベントは結果的にどれも資本主義的な大規模イベントになっていったのが印象的だった。続けるとどうやっても商業になってしまうのかもしれない。それが良いとか悪いとかではなく。

寒さが本格的になってきた。そのせいもあってかここ数日、昼夜逆転している。朝も昼も夜もいつ起きても寒いから何も出来なくて二度寝してしまう。レッドブル(砂糖抜き)を飲んでも眠たい。しかし、家にある食べ物が少なくなってきたのでスーパーに向かった。食べ物は買えたがファブリーズを買い忘れた為、家に帰る途中だったが引き返し再び入店した。最近は坦々麺鍋の素に豚肉ともやしを入れて食べている。久しぶりに家でお酒を飲んだ。

海外のミュージシャンに特に多いラフでフットワークの軽い活動の仕方は理想的だと思う。特にヒップホップの人に多いが、ノリでガンガン曲を出す感じは本当に憧れる。そしてそんなやり方でもちゃんと支持を得ているのも良い。

佐野さんがオープンしてから2時間も経っているイベントに急に誘ってくれた。タイミングが謎すぎてテンションがあがった。場所は新宿ドゥースラーで、気軽な雰囲気のDJイベントだった。佐野さんはレゲエからジャングル、ガバ、なんか速いよく分からない曲とかレコードでかけていてなんかくらった。

2022年はあらゆるムードがくっきりと変わっていく年になるかと思っていた。しかし、実際はムードを引きずったまま自分の生活も世の中もだらだらと続いていくような年になった。何も解決せずただ問題が増えていくばかりの空気はじわじわと辛さが継続するばかり。

裏マサカーでスワさんがDJで三浦大知のEXCITEをかけたのには驚いた。しかも曲の終わりかけで急に逆再生しだしたのは意味不明すぎてくらった。スワさんはライブもDJも普通だったらかけるリミットを余裕で外してくる感じがある。

情熱大陸のジャルジャル回を見た。ほぼほぼRXKnephew。もしくはLil B。

前から分かってはいたが、どこにいてもちゃんとやってる人はやってるし、やってない人はやってないと強く実感する一年だった。

ドキュメント72時間のプリクラ回で復縁する予定のカップルが映し出されていた。女性がプリクラに「結婚を前提に付き合って下さい」と書いていたのが良かった。

数年前、インスタに路チューしてるカップルを背景に自撮りするアカウントみたいなのがあった気がする。凄く良かった記憶はあるが、今はもう見当たらない。今年は割とこれについて定期的に思い返していた。

片付けをしている時に見つけたEric FryeのCDを改めて聞いた。グリッチ音の中に洗濯物を乾かす為に回していた扇風機の音も混ざり、心地良かった。

年々、Tiny Mix Tapesの凄さを実感するようになってきた。ああいう目線を持った音楽メディアは本当に稀有なんだと改めて気付かされる。そんなTMTは2020年に活動休止。勿論、復活してくれたら嬉しいがあのタイミングで終わる感じもよく分かる。そして、自分はちゃんと聞いたり見たりするということが出来ているのだろうかと常に思う。

今年は行ったライブやDJをスマホでよく撮った。結構溜まっているので何かに活用したいという気持ちだけがある。

唇の端がずっと切れている。調べたら乾燥やビタミンB2、B6が足りてないとなるらしい。あまりお金もない人間が健康な生活を送るのはなかなか難しい。

数年前からSNSで繋がっているパトリックは毎年、年末にミックスを送ってくれる。お互い会ったこともないし、年齢も向こうの方が多分若い。パトリックの諸々の活動は勿論、こうやって小さい輪にのみ配るミックスを作る感じも本当に尊敬している。毎年楽しみにしてるクリスマスプレゼント。

自分含め、ムードを頭で考えているように見える時が時折あった。ムードは考えるものではなく感じるものなのに等と思った。

カラオケもホラー映画もずっと苦手だったが、流れで何となく行ったら意外とどちらも楽しめた。苦手なものが多少克服されて嬉しい。

忘れかけていた事を思い出すような出来事があった。この事は折に触れて思い返せたらと思う。