seaketa - きっと途中の感想

 

seaketa - きっと途中


「身近な人達を思う気持ちとそれに伴う自身のエゴ。個人と社会の距離、バランス。つまり、コミュニケーションについてのアルバム。」

アルバムの説明をプレスやbandcampの概要に上記のように書いた。

今回のテーマは拡大解釈すれば世界までいくし資本主義までいくが、個人ではどうしようもないという現実がある。まずそれを受け入れた上で身近なところから見つめようとしたのがこのアルバム。自分語りをし、それをちゃんと人に伝えるという行為をする。狭い範囲でよく、変に大きな話にせず、個人の話として完成させることを目標にした。

内容について詳しく言うと、友達など周りの人で病んでいる人が多く心配になる。自分も精神が落ちる時はある。精神病は世界的な問題にもなっている。ここまで周りや世界でも多いならこれはもう身近な話題。病んでいる状態など良くない状況がまだ変わるはずと信じているけどそれが良い方向か悪い方向かは分からない。でもいい方向に傾くようにと信じることはできる。自分は信じるけど最終的に治そうとするその人自身の意思がないとどうしようもないという現実もある。格好良く言えば、奇跡を信じる。(大げさにいうとアナキズム的な観点も含んで)出来ないと思わされている、思っていることから抜け出すぞという思い。そして周りがいい感じなら自分もいい感じになるだろうという気持ち。そして、自身や他人の曖昧さやブレを肯定、許容するイメージ。

しかし、どれだけ人のことを想っても他人はコントロール出来るものではないという事実もある。プレゼントを送っても受け手側が喜ぶとは限らない。人のことを想うのはエゴか、エゴでも良いのか悪いのか、バランスは、というのを考えた。

以上のことを中心に考え初めは作っていた。途中から範囲を広げるというかもうちょっと色々な個人や世間の話もリンクさせた。そして大きな括りとしてコミュニケーションを主軸のテーマとした。細かく他にもいろいろと考えたことがあり、例えば、あいだみつおとか聖書に書かれてそうな当たり前のことを見直す。伝統が何故続くのか、人は何故似たような教訓を繰り返すのか改めて考える。今はマクロな視点から語ることよりもミクロな視点で考えたい。一対一の関係から関係を結び直す。やっぱりコミュニケーションのコストはお互い払わないと得られないものはある。個人と公のバランス等々。それでもずっと一般論ではなく主観で考えて作ることは変えずに。

特にこのアルバムで何か答えを提示しているわけではなく、ずっと考えている。悩んでいる姿、自分語りを見せているだけである。正直まだ分からないことだらけ。つまり、これからも考えていくし、あらゆることは続いていく。このアルバムはまだ道半ばで一回まとめてみたもので、後年振り返った時どう見えるのだろうか。その時、良い方向に進んでいたら何より。